館林市当郷町の巨法山善長禅寺。
つつじが岡公園から見て、城沼の対岸(北岸)にある。



室町時代の大永3年(1523年)に開かれた曹洞宗のお寺。
ここには、德川四天王で館林藩主・榊原康政の愛妾「お辻」の供養塔がある。



榊原康政の側室「お辻」は美しく、康政の寵愛を一身に集めていた。そのため、正室や腰元たちの妬みを受け、ひどくいじめられていた。そして遂に耐えられなくなり、侍女の「お松」とともに城沼に身を投げてしまった。時に慶長10年(1605年)のことと伝えられている。
その霊を弔うために、「お辻」「つつじ」の音が互いに似かよっていることから、つつじを城沼の南岸に植えた。これがつつじが岡公園の始まりと言われている。
その後も、康政の孫・忠次は、新田郡武蔵島村(現:太田市武蔵島町)から、新田義貞の妻・匂当内侍遺愛のつつじを数百株移植している。さらに、寛文年間(1661年~1672年)には徳川綱吉が、日光の山から数株のつつじを移植したと言われている。
つつじが岡公園は、女の嫉妬がもとの悲劇から始まった、ということ。
追記
再訪記はこちら「榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓 -善長寺 その2-」
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