館林市の館林城址。城町と言う地名を残す。
15世紀に築かれたとされるが、德川4天王・榊原康政が近代的な城に改修した。
一部の遺構を残しているのみで、跡地に市役所、文化会館、市立図書館などが建てられている。


土橋門は昭和58年(1983年)に、城壁とともに復元された。城の中心部に通じる三の丸に設けられ、通用門として使われていた。
土橋門という名前の由来は、門前の内堀に架けられた土橋からきたといわれている。また、防御用に黒色の鉄板が打ち付けられており、黒門とも呼ばれている。



本丸跡は広い芝生公園(?)になっているようだが、この日は天気が良かったにもかかわらず、あんまり人はいなかった。
館林に限らないけど、城址ってだいたい市役所とか公共施設が建ってしまって、もともとの城の面影が残っているところは少ない。
館林城は尾曳城とも呼ばれる。築城者の赤井照光が子ぎつねを助けたところ、お稲荷様の化身の白きつねが現れ、お礼として尾を曳いて城の配置を教えてくれたという伝説がある。
なので、尾曳城ということ。
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