富岡市上高尾の祝融山神泉院長学寺。
弓削道鏡が勅命により戒壇院建立を図り、関東諸国を巡ったときに、ここに薬師如来を請じた、という記録があるらしい。
承和2年(835年)山城国(京都府)真済が、勅命により関東諸国に一切経を納めた際、上野国については貫前神社宮司に適地を選定させ、そのとき当地にお堂を建てたと伝えられている。
急な石段を上っていくと、ちょっと変わった山門がある。横から見ると、釣鐘があり、楼門だった。
元和2年(1616)に、前田利孝が七日市藩主になると、歴代の菩提寺とした。
境内には、歴代七日市藩主・前田家の墓碑である五輪塔がある。2代・利意(としもと)、3代・利広(としひろ)、5代・利英(としふさ)、6代・利理(としただ)、10代・利和(としよし)が眠っている。
しかし殿様の名前、読み方が難しいね。
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