安中市磯部の磯明山松岸寺。

松岸寺 (2)
松岸寺 (3)
松岸寺 (4)
松岸寺は天徳6年(962年)の天台宗の寺として創建。永正年間(1504~21年)に曹洞宗に改宗している。

口碑や他説では、永禄年間(1558~70年)や慶長3年(1598年)の創建ともある。天徳とはかなり年代が離れているけど。

大野九郎兵衛の墓
ここには、林遊謙なる者の墓があり、これが赤穂藩士・大野九郎兵衛との伝承がある。

忠臣蔵では、大野九郎兵衛は私財を持って夜逃げした的な赤穂の悪役に描かれている。塩田の開発により赤字だった藩財政を立て直したとか、城明け渡し時に藩札を交換し領民の当座の生活を守ったとかは、あまり語られていない。

なんで安中にお墓があるかというと、大石内蔵助の吉良邸討入が失敗した場合、安中に潜んでいた大野九郎兵衛が次の計画を持っていたからとか。

墓石には「慈望遊議居士 寛延四年九月二十四日」とあり、寛延4年とは1751年。赤穂浪士の吉良邸討入が1702年なので、大野九郎兵衛はその後50年近く生きていたことになる。

大野の生没年は不詳であるが、没時70歳とすると赤穂事件の時20歳となり、若年で家老職を得ていたことになる。なので信憑性はかなり低い。

大野の事件後の行方は諸説あるが、京都仁和寺あたりに住み、元禄16年(1703年)に衰弱死して、東山の黒谷に葬られたといわれている。