高崎市箕郷町下芝の下芝山万福寺。

万福寺 (1)
万福寺の創建は数度の火災により古記録が失われたため不詳だが、開山の英伝法印の入寂が永正2年(1505年)とされるので、それ以前の創建と考えられる。

現在の本堂は安永7年(1778年)の再建。

万福寺 (2)
万福寺 (3)
青柳紋右衛門友忠が祖先供養のために百番霊場を巡拝(巡礼)、建立した宝篋印塔。安永4年(1775年)の造立。中には仏像が。青柳家は長野氏家臣の家柄。

万福寺 (4)
百番霊場巡拝供養塔。六角形の多宝塔型で安永5年(1776年)の造立。これも青柳紋右衛門友忠の造立と考えられる。

一般的に西国33札所巡拝などの諸国巡拝達成記念に建てられる供養塔。百番は西国33ヶ所、板東33ヶ所、秩父34ヶ所の100霊場。先の宝篋印塔は祖先のために建て、供養塔は地域の方々のために建てたということかな。

お年寄りや身体の弱い方などが、この供養塔をお参りすることで、100ヶ所巡拝したことと同じご利益が得られるとされるので、江戸時代に全国的の造立されている。

万福寺 (5)
観音菩薩と地蔵菩薩。平成2年(1990年)の造立。

万福寺 (6)
墓地の五輪塔。赤城型といわれるもので高さ145cm。「并諸檀那奉逆修応永廿八年拾月」の銘がある。逆修なので生前造立。また、応永28年は1414年。と言うことは、応永年間には万福寺は創建されていたということかな。