安中市郷原の江月山海雲寺。

海雲寺 (1)
海雲寺は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで討死した菅沼定清の菩提を弔うため、旧臣が陽雲寺8世・天徳寛隆を開山として創建。定清の戒名(福聚院殿海雲玄智大居士)から海雲寺とした。

海雲寺の寺域は菅沼城(下山城)跡で、定清の居城であった。菅沼氏は徳川家康の関東移封に伴い定盈が上野国阿保(1万石)、定利が吉井(2万石)に配された。同様に定清も配されたのだろうが、菅沼氏は複数の系統があり、定盈、定利、定清の血縁関係は分からない。

海雲寺 (7)
本堂は大正14年(1925年)の建立

海雲寺 (3)
海雲寺 (6)
招福観音を祀る招福堂。東京・豪徳寺からの勧請。

彦根城主・井伊直孝が武蔵野(当時、現在の世田谷あたりは彦根藩の領地だった)に狩りに出て大雷雨にあった時、一匹の猫が現れ片手を上げ招き、豪徳寺(当時は弘徳庵)の茅屋に案内してくれ雨がしのげたことから、直孝が伊家の菩提寺として伽藍などを整備した。猫が福を招いたということから、招福観音(招猫観音とも)を祀る「招猫殿」を建立。

その後、猫が片手をあげて招いている姿を形どった「招福猫児(まねぎねこ)」が作られるようになり、それが「招き猫」になったといわれる。

海雲寺 (4)
海雲寺 (5)
堂前には招き猫が鎮座している。

山門前を始めとし、境内の至る所に招き猫がいる。