高崎市倉渕町権田の諏訪山東善寺。

東善寺は寛永10年(1633年)の開創とされる。境内の石造物に江戸時代以前のものもあり、開創はもう少し古い年代の可能性もある。

小栗上野介忠順は幕府の職を辞した(実質的には罷免)後、東善寺に隠棲していた。宝永元年(1704年)に小栗家が当地に所領を与えられていたことから。小栗は江戸幕府の外国奉行や勘定奉行を歴任し、横須賀造船所を建設したことでも知られている。

小栗忠順の墓。
小栗は慶応4年(1868年)官軍に捕縛され、その翌日に取り調べもされぬまま烏川の水沼河原に家臣の荒川祐蔵・大井磯十郎・渡辺太三郎と共に引き出され、斬首されている。
小栗は当時にしては珍しく世界の見えた人物であった。そのため、罪もないのに薩長軍に処刑されてしまった。小栗の先見性は、後に日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥が、小栗の遺族に謝辞を述べたことからも分かる(横須賀造船所を造ってくれたおかげだと)。
そんな小栗が幕末の薩長軍との戦争のさなか、江戸城にあった大量の軍資金を群馬県の赤城山麓に隠したのではないか? と言う風聞(噂)がある。360万両、現在のお金で数十兆円! 赤城山のふもとで、親子3代にわたり発掘を続けている人がいるのは有名である。
もう15年くらい前にTBSの番組で大発掘調査をやったのを記憶している人もいるかな。糸井重里が出てたやつ。番組では結局何も出てこなかったが、見方によっては一大ロマン?
でも、小栗は戦う意思のない徳川慶喜に嫌気がさしており、幕府復興のために資金を持ち出して隠したと言うのはあり得ない気がする・・・。
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