藤岡市保美の龍冨山天陽寺。

天陽寺 (1)
天陽寺は元亀3年(1572年)武田家家臣で三ッ山城主・長井豊前守正實(まさざね)の開基、永源寺7世・笑山長喜和尚の開山と伝わる。慶長年間(1596~1615年)依田信守の中興。寺伝では信盛となっている。

天陽寺 (2)
本堂などは天保元年(1830年)火災により焼失。明治期に廃寺となっていた保美地区内の清福寺の木材を使い再建。

本尊は子持ち薬師如来と言い、胎内に子薬師を懐胎している。

天陽寺 (5)
正實父子のものと推定される墓(祠)。どれが誰のものかは不明という。天陽寺には正實の鎧兜などが残されていたようだが、上記火災により焼失したという。

天陽寺 (3)
境内(墓地ではなく)に2m超える大きな宝篋印塔がある。銘が明らかに削り消されている。ご住職によると、この宝篋印塔が正實の墓標の可能性もあるという。正實が開基(創建)した後、徳川配下の依田氏の菩提寺になっており、その際に銘が消された可能性があるということ。(この宝篋印塔の写真のみ別撮り)

天陽寺 (4)
天陽寺 (6)
中興の依田氏の墓もある。上が依田信守夫妻の墓、下は依田信政の墓である。信守は当主・康勝の従兄弟に当たる。信政は信守の弟だが、信守の養子になっている。康勝の祖父も信守と言うが、天陽寺中興の信守とは別人である。

天陽寺の近くには中屋敷と言う地名が残っており、依田氏の屋敷があったと推定される。遺構などは残ってないようだが。