藤岡市上落合の七輿山古墳。
現在、藤岡市により毛国白石丘陵公園として整備中。
「史跡 七輿山古墳」の表示は、錆と落書きでほとんど読めない。
七輿山古墳は、6世紀の古墳としては東日本最大級の全長145mを誇る。
後円部には五百羅漢像があるが、みな首を取られている。これは明治時代の廃仏毀釈の爪痕である。首は古墳の堀に捨てられたと言う。
七輿山の由来は、多胡郡郡吏・羊太夫が謀反の疑いで朝廷から討伐をかけられた際、その7人の姫(他説では女房)を金の輿に乗せて逃がした。しかし逃げ切れずこの地で自害。ここに輿とともに厚く葬ったからと言われている。
(羊太夫は、上毛かるた紀行「昔を語る 多胡の古碑」参照。)
でも、多胡郡が設置され羊太夫が郡吏に任命されたと言われているのは和銅4年(711年)に対し、七輿山古墳は6世紀の前半の造営と推定され、年代が全く合わない。
まあ、伝説ってことかな。
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