高崎市吉井町多比良の多比良神社。

多比良神社 (1)
多比良神社 (2)
多比良神社は永禄年間(1558~70年)に新堀(多比良)城主・多比良豊後守友定が諏訪神社を勧請したことに始まる。大正8年(1919年)に阿夫利神社、粟島神社などを合祀し多比良神社と改称。

新堀城は永禄6年(1563年)の武田信玄の西上州侵攻の際に落城し、多比良友定は自刃したといわれているので、多比良神社の創建は永禄年間前半と思われる。

多比良神社 (3)
多比良神社 (4)
社殿は明治期に建立されたが、平成14年(2002年)に改築されている。

多比良神社 (7)
「忘れん 降雹災害之碑」。平成7年(1995年)の建碑とあったので、最近のものだ。

平成6年(1994年)9月に、多比良・多胡・安坪地区を中心に玉子大の雹と暴風雨により、田畑・桑園だけでなく家屋にも甚大な被害がでた。また、被害総額3億5000万に対し救済費がわずか190万だったことの両方を「忘れん」ということらしい。

多比良神社 (8)
社殿裏の双体道祖神。

多比良神社 (5)
多比良神社 (6)
境内の非板状の塔婆(板碑)。総高101cm、幅41cm、厚さ27cmで、牛伏砂岩製。上部に二条線、碑面に枠線を有し、阿弥陀如来を示す種子が彫られている。鎌倉時代・建治2年(1276年)の銘がある。

吾妻鏡に多比良小次郎の名が見えることなどから、多比良氏が当時からこの地に勢力をはり、板碑の建碑にも関係していると考えることもできる。