藤岡市金井の薬師堂。

金井薬師堂の由緒は不詳だが、元禄16年(1703年)に高山氏により当地に移築されている。享保12年(1731年)に山崩れにより倒壊、高山半兵衛重寛が再建。現在のお堂は平成4年(1992年)の新築建立。
高山氏は桓武平氏・平良文の流れをくむ秩父氏の一族。秩父三郎が武蔵国高麗郡高山邑(埼玉県飯能市にある高山不動)に住して高山三郎を名乗り、初代・高山三郎重遠となる。重遠は後に上野国緑野郡高山(藤岡市高山)を本拠とした。
高山社を興した高山長五郎や、江戸期の寛政三奇人のひとり・高山彦九郎はその末裔にあたる。


境内には石仏・宝塔、供養塔などが並ぶ。


本尊の薬師如来像。

薬師堂の前には藤岡市の重文を示す解説板がある。重文は「伝山内上杉顕定公愛用の碁盤」。上杉顕定は平井城主の関東管領。碁盤は室町時代の作で、現存する碁盤の中では全国でも古い部類に入るという。
ところで、この碁盤の所有者は仙蔵寺になっている。仙蔵寺は藤岡市西平井にあるお寺。ただ、碁盤の所在地はこの薬師堂の住所になっているので堂内にある? このお堂の管理も仙蔵寺なのかな。
碁盤には後世の加筆による「西平井村 平岩山 文殊院」という墨書があるというが、現在の西平井には同名の寺院はない。平岩山文殊院が廃寺にでもなったので、仙蔵寺に移されたのか。でも、上杉顕定の菩提寺といわれる常光寺もあるので、なぜそちらではないのかとの疑問もあるけど。
関連
「蝸牛石(だいろいし) -仙蔵寺-」
「藤岡市西平井・平井山常光寺」
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