藤岡市下日野の猪田山興春寺。

興春寺 (1)
興春寺 (2)
興春寺は興禅院2世・雪山東天和尚の開山。創建年は定かではないが、雪山東天の没年が寛永18年(1641年)なので、江戸初期の創建と考えられる。興春寺はちょっと山中にあり、山門もなくお寺らしくない佇まい。本堂は比較的新しく、近年の建立と思われる。

興春寺 (3)
興春寺 (4)
お寺らしいものはと言うと、石仏が数基見られるくらい。

興春寺 (5)
本堂脇から山道を登ると狭い墓地がある。そこにある義民・馬之助の墓。

馬之助は下日野村の農民で「御荷鉾山一件」の農民総代。訴願により目的を達したが、所払い(追放)となった。後に赦免されたが帰村せず、嘉永2年(1849年)奥州白河で没している。

「御荷鉾山一件」とは、文政・天保年間(1818~45年)に上日野・下日野・金井3村の農民による哀訴事件。3村の役人と吉井藩役人が共謀し、吉井宿商人に御荷鉾山(土地)を売却、入会権を守るため3村農民が幕府に強訴したもの。

総代4名(上日野村・常吉、下日野村・馬之助、金井村・作右衛門と繁右衛門)と、金井村の幸右衛門(繁右衛門の子)、寅五郎の6名が捕縛・入牢。幸右衛門と寅五郎は獄死。繁右衛門は宿預け後に病死。常吉、馬之助、作右衛門は所払いとなった(後に赦免)。

一般にはまったく知られてない農民の強訴事件。群馬県では茂左衛門が有名だけど、他にも数多くの義民が命がけで強訴している。