藤岡市緑埜の厳上山大聖峯寺。

大聖峯寺 (1)
大聖峯寺 (2)
大聖峯寺の創建は不詳。大正3年(1914年)に正福寺、西福寺、板倉不動尊を合併している。

大聖峯寺 (3)
大聖峯寺 (4)
石段脇の大ケヤキ。樹高18m、幹周り8m、推定樹齢500年(平成2年:1990年データ)。落雷により樹心部が空洞となっているが、石段が波打つほど根がはっており樹勢は良い。

大聖峯寺 (5)
大聖峯寺 (6)
境内の六地蔵と慈母観音。

大聖峯寺 (7)
大聖峯寺 (8)
大聖峯寺の寺域手前に鳥居がある。扁額は「板倉不動尊」。鳥居は平成27年(2015年)の建立。大正3年に合併された板倉不動尊の鳥居である。

大聖峯寺 (9)
大聖峯寺の境内にある板倉不動尊。由緒は不明だが、奥州ヘ安倍氏討伐に向かう源義家が戦勝祈願を行い、勝利後の康平5年(1062年)に7堂伽藍を造営したといわれる。その後、建久8年(1197年)には源頼朝が伽藍を修理、応永4年(1397年)に関東管領・上杉憲実が鳥居7基を奉納している。

上記の逸話は多野藤岡地方誌(昭和51年:1976年刊行)によるが、いくつが誤りがある。康平5年だと前九年の役になり源義家ではなく父の頼義になる。義家ならば後三年の役で寛治元年(1087年)。

また、上杉憲実が出てくるが、憲実の生年は応永17年(1410年)とされており、応永4年ではまだ生まれていない。応永4年時の関東管領は上杉朝宗で、まだ在鎌倉。憲実が関東管領になり、平井城へ下ったのは永享10年(1438年)のこと。

まっ、細かいことはいいか。

大聖峯寺 (10)
大聖峯寺 (11)
大聖峯寺 (12)
不動堂は元禄13年(1700年)僧・祐意が建立したとされる。扁額は中央に「大聖堂」、脇に「不動堂」。

大聖峯寺 (13)
ご本尊の不動明王像は厨子の中のようだ。この不動明王像は行基の作とされ、行基がノミ1本で彫刻したといわれる。

板倉不動尊が中心となり寺院が形成され、その中のひとつが大聖峯寺に発展したということかな。