多野郡上野村新羽の乃久里神社。
乃久里神社の創建は不詳だが、日本武尊の妃・弟橘媛の髪の毛を祀っている。
当地で日本武尊は今ままで身につけていた弟橘姫の遺髪を祀り、重臣を残してこれを護らせた。当地に留まった重臣は「残りの臣」と称したが、後に「のこり」が「のぐり」と変じ、「野栗郷」と呼ばれるようになったといわれる。当社も野栗神社と呼ばれるようになったが、現在は乃久里と表記している。この理由は分からない。
鬱蒼とした森の中に鎮座しており、いかにも鎮守の森といった雰囲気。
社殿前の灯籠には寛政(1789~1801年)の元号が見て取れた。社殿も寛政の頃の建立かも。
神楽殿。乃久里神社の神楽は、旧中里村(現神流町)の産泰神社から伝わった説と、同じく旧中里村の中山神社から伝わった説の2説ある。面や衣装は中山神社の神楽と共通している。
境内社の根之権現とえびす(と思われる)像が置かれている社。山間部なので足腰の神(子の権現)が祀られている? また、えびすさんは漁業の神でもあり上野村とは不釣り合いのように思えるが、実は神流川での漁が盛んだった。
山々に囲まれたのどかないい場所だ。
乃久里神社には「お川瀬下げ」の神事が伝わっており、毎年8月に行われる。神事で神流川に小麦団子を流すが、弟橘媛には77人の子どもが有り(伝説)、それを祀っている各社に捧げるためという。
ちなみに神流川の名前の由来は、野栗郷で疫病が流行った際に野栗の神の怒りと感じた住民たちが、ご神体(遺髪)の穢れを浄めるために川に流したことから髪流川、神流川となったといわれる(諸説あり)。
かなり川下だが、藤岡市浄法寺の野栗神社にも似たような伝説が残っている。
(「藤岡市鬼石・野栗神社」参照)
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