上毛かるた紀行、第30弾!

ろ
(ろ) 老農 船津傳次平

旧富士見村(現、前橋市富士見町)出身の農業研究家。明治「三老農」のひとり。

船津傳次平 (1)
前橋市富士見支所(旧富士見村役場)に、銅像が建っている。

船津傳次平 (3)
船津傳次平 (2)
生家近くのお墓は、群馬県の史跡に指定されている。

船津傳次平 (4)
死後に従五位が贈られたようで、その記念碑もお墓近くにある。

船津翁は、地元で名主・村役人として名望を集める傍ら、実践的な農業技術の改良にあたり成功を収める。その実績を買われ、明治維新後は中央政府に招かれ、引き続き農業技術の改良に取り組み、日本の在来農法を基礎に西洋農法のも取り入れた「船津農法」を考案した。

駒場農学校教官時代には、講義の傍ら学生の先頭に立って、駒場の原野を開墾したという。東京都飛鳥山には、頌徳碑も建っている。

群馬県民の、船津翁の知名度は100%に近いと思われるが、では何をした人? と問われると、答えられる人は少ない(と思う)。オレも「老農」って言うくらいだから、農業関係の人だろうな、って感じだった。

いやぁ~、「上毛かるた紀行」って、勉強にもなるね。