高崎市鼻高町の少林山達磨寺。
達磨寺の開創は不詳。伝承では、当地に古くから観音堂があり、碓氷川で見つかった光る香木を納めておいたところ、延宝8年(1680年)に一良居士という行者が、その香木から達磨大師の座禅像を彫り安置したのが始まりとされる。元禄10年(1697年)に前橋城主・酒井忠挙により、前橋城の裏鬼門を護る祈願所として寺院建立を発願。心越禅師を開山とし、天湫和尚を水戸から招き達磨寺とした。
明治期に隠元禅師を中興開山とし、黄檗宗に改宗し現在に至っている。隠元はインゲン豆を日本に伝えたとされる日本黄檗宗の開祖。当然のことながら、隠元の年代とは異なるが(江戸初期の人)、開祖などを開山とすることはよくあるらしい。
総門は平成9年(1997年)の建立。中央の屋根を高くし、左右を低くした牌楼(はいろう)式と呼ばれる中国様式の山門。窟門(写真右の白壁部の門)をくぐると、女坂と呼ばれる石段を迂回して境内に行き着く道がある。
県道沿いのコミカルなだるま型の案内板。
急で長い石段(165段)。脇には不動明王像。
石段を登り切ったところにある鐘楼(写真は境内側から)。梵鐘は「招福の鐘」と名付けられている。
講堂。昭和2年(1927年)の建立。達磨大師を本尊として祀る研修道場。
達磨石。謂れなどは分からない。
霊符堂(本堂)や達磨堂に上っていく石段前にある玄武灯籠。亀に大蛇が巻き付いた様式。
本堂にあたる霊符堂。明治44年(1911年)の再建。北辰鎮宅霊符尊と達磨大師を祀り、心越禅師を安置する。北辰鎮宅霊符尊は北極星と北斗七星を神格化した方位除けの守護神。
多数のだるまが納められている。「中山秀征」「布袋寅泰」「群馬県警」「東進ハイスクール」「FC東京」などの名入りだるまも見られる。
達磨堂。大山立修氏の達磨コレクションの寄贈が縁となり、昭和61年(1986年)の開堂。
日本各地のだるまなどを展示している。
群馬が誇る3首相(福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三)の名入りだるまも。
十一面観音を祀る観音堂。開創当時は経蔵として建立されたが、寛政4年(1792年)に北辰鎮宅霊符尊を祀る霊符堂に改修された。現在の観音堂はこの時のものとされる。その後、霊符堂が建立され北辰鎮宅霊符尊が遷され、観音堂となっている。
観音堂周辺には130体ほどの庚申塔が建っている(百庚申)。観音堂に北辰鎮宅霊符尊が祀られた寛政4年以降に建てられ、文化年間(1804~18年)のものが多い。
百庚申の脇にある「招き猫の木」。ネコに見えなくもない?
縁起だるまは達磨寺が発祥とされる。天明3年(1783年)の浅間山の噴火に伴う飢饉で、農民の生活は困窮を極めていた。この惨状を見かねた達磨寺9世・東獄和尚は開山・心越禅師の描いた「一筆達磨座禅像」を元に木型を彫り、張り子だるまの作り方を農民に伝授した。これが現在の「縁起だるま」の発祥とされる。
達磨寺関連
「高崎市鼻高町・少林薬師塚古墳」
「高崎市鼻高町・少林山天頭塚古墳」
「高崎市鼻高町・洗心亭」
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