藤岡市三波川の妹ヶ谷不動尊。


妹ヶ谷不動尊は元禄8年(1695年)江戸小石川無量院4世・快慈がお堂を建て、不動明王像を安置したのが始まりとされる。妹ヶ谷は字名。三波川に掛かる橋を渡って行く。

境内入口前に湧き水が引かれていた。きれいな水だったが、飲むのはパス。

最後の石段を登ると境内。


現在の不動堂は明治元年(1868年)の建立。祀られている本尊(不動明王像)は勇尊和尚の作とされる。像高約54cmの純金製というが本当だろうか。



お堂の彫刻は素晴らしい。

旧不動堂だろうか。

神楽殿かな。


明治初年に梵鐘が寄進されたが、先の大戦時に供出。現在の梵鐘は昭和21年(1946年)の寄進。

比較的新しい不動明王像。

松尾芭蕉の句碑(裾山や 虹はくあとの 夕つつじ)。天保年間(1831~45年)の建碑。

境内の宝篋印塔。元文3年(1738年)の銘が読み取れた。

不動堂に向かって山道を歩いている途中に「不動滝入口」の案内板があったので、帰りに寄ってみた。かなり急な道を下って行く。

こじんまりとしているが、よく見ると2段の滝。弘法大師(空海)が巡錫の際に修行した場所との伝承もある。

滝壺というほどではないが、そのほとりに仏塔らしきものが見えた。よく見ると石を積んだだけのものだった。宮崎・高千穂などでよく見かけるが、石を積みながら願い事をすると叶うといわれるので、訪れた人が積んだのだろう。
ところで、妹ヶ谷の地名は平家に縁があるとされる。同じ藤岡市の日野地区(妹ヶ谷から山を越えると日野地区)の小柏氏は平維盛の子・維基の末裔とされる(真偽は・・・)。その小柏氏の妹が住んだ所なので「妹ヶ谷」との地名になったといわれる。


妹ヶ谷不動尊は元禄8年(1695年)江戸小石川無量院4世・快慈がお堂を建て、不動明王像を安置したのが始まりとされる。妹ヶ谷は字名。三波川に掛かる橋を渡って行く。

境内入口前に湧き水が引かれていた。きれいな水だったが、飲むのはパス。

最後の石段を登ると境内。


現在の不動堂は明治元年(1868年)の建立。祀られている本尊(不動明王像)は勇尊和尚の作とされる。像高約54cmの純金製というが本当だろうか。



お堂の彫刻は素晴らしい。

旧不動堂だろうか。

神楽殿かな。


明治初年に梵鐘が寄進されたが、先の大戦時に供出。現在の梵鐘は昭和21年(1946年)の寄進。

比較的新しい不動明王像。

松尾芭蕉の句碑(裾山や 虹はくあとの 夕つつじ)。天保年間(1831~45年)の建碑。

境内の宝篋印塔。元文3年(1738年)の銘が読み取れた。

不動堂に向かって山道を歩いている途中に「不動滝入口」の案内板があったので、帰りに寄ってみた。かなり急な道を下って行く。

こじんまりとしているが、よく見ると2段の滝。弘法大師(空海)が巡錫の際に修行した場所との伝承もある。

滝壺というほどではないが、そのほとりに仏塔らしきものが見えた。よく見ると石を積んだだけのものだった。宮崎・高千穂などでよく見かけるが、石を積みながら願い事をすると叶うといわれるので、訪れた人が積んだのだろう。
ところで、妹ヶ谷の地名は平家に縁があるとされる。同じ藤岡市の日野地区(妹ヶ谷から山を越えると日野地区)の小柏氏は平維盛の子・維基の末裔とされる(真偽は・・・)。その小柏氏の妹が住んだ所なので「妹ヶ谷」との地名になったといわれる。
コメント