高崎市吉井町黒熊の三木市右衛門の墓。

上信越自動車道北側の側道脇にある墓地に標柱が立っている。


三木市右衛門の墓。
市右衛門は当地を領していた旗本・倉橋内匠の圧政に耐えかねた農民の代表として幕府への直訴に及び、投獄・所払いの罰を受けた旧黒熊村の名主。
緑埜村(藤岡市)の名主・堀越三右衛門が、寛文7年(1677年)にまず直訴に及び成功したが、同年に死罪となる。しかし、倉橋内匠は懲りずに過酷な年貢取り立てを止めなかったため、市右衛門が翌年に2度目の直訴に及んだ。残念ながら事前に露見し、8年間の投獄の末、所払いとなる。
しかし2人の身を捨てた訴えにより、年貢を減らす処置がとられ、倉橋は追放となっている。
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