渋川市小野子の七社神社。

七社神社 (1)
七社神社 (2)
七社神社は大同元年(806年)の創建と伝わる古社。坂上田村麻呂の征蝦時、上野国から募兵に応じた小野金善(京から配流されていた)が大功を立てた。その金善が許され帰京するに際し、郷民に贈った天之御中主の像を七社大明神として祀ったのが始まりという。

七社神社は、後に西の沢、富士山、三田野、如意庵、金善寺、甲里の6ヶ所に分霊し、それぞれ七社神社として祭祀したので、本宮(当社)と合わせ7ヶ所にある。

七社神社 (3)
七社神社 (4)
急な石段を登っていくと石灯籠が見える。境内に着いたぁ~と思ったら、そこには民家が。

七社神社 (5)
七社神社 (6)
民家の脇を廻ると二ノ鳥居。扁額に七社大明神とともに八幡大神の名もある。八幡神社(宮)が合祀されているようだ。

七社神社 (7)
参道脇には杉木立。

七社神社 (8)
七社神社 (9)
七社神社 (10)
社殿前の石灯籠には応永の文字が読み取れた。応永は1394~1427年。

ところで、先に書いた七社神社の由緒の年代は疑問だ。天之御中主は実態のない神とされ、信仰の対象となったのは近世に妙見菩薩と習合されるようになってからとされる。北斗七星の本地である北極星の神格化が妙見菩薩。本宮(当社)を北極星として、他の6社を合わせて北斗七星を模したんだと思う。なので、別神を祀っていたが秩父神社あたりの影響から妙見信仰が発生し、七社神社になったのではと勝手な想像。

ついでに、小野金善から旧小野子村の名はついている。ちなみに、金善とともに田村麻呂の征蝦軍に従軍した村上平太から旧村上村の名はついている。小野子村と村上村が合併し旧小野上村(現渋川市)になっている。