吾妻郡東吾妻町岩下の福聚山応永寺。

応永寺は岩櫃城主・斎藤氏により建立された。斎藤氏の当地入部には諸説あるが、一説に応永12年(1405年)に斎藤憲行が当地に入部とあり、時の元号と寺名が一致することからこのあたりの創建かな。斎藤氏の滅亡により衰退していたが、大永7年(1527年)に無庵禅師が中興したという。




立派な山門。仁王像が鎮座している。



山門の天井絵。中央の龍を挟んで両側に天女。



本堂扉の家紋は左は五七桐と思うが、右は見たことない。2つともお寺と関連があるのだろうが、まったく分からない。

水難慰霊塔。昭和10年(1935年)9月の2つの台風による集中豪雨での被災者を慰霊するもの。吾妻郡では土石流や山崩れが発生。吾妻川も水位が最大6mも上昇。人的被害、住宅被害(全壊や流出など)が発生した。
この被害は吾妻郡に限らず、群馬県内で死者・行方不明、負傷者合わせ400名を超える甚大な被害が発生した。高崎市でも烏川、碓氷川で堤防が決壊。救助活動中の高崎15連隊の兵士7名が犠牲になっている。(「七士殉職供養塔」参照)

灑水(しゃすい)観音。右手に灑水杖を持つ。

本堂前の枝垂れ桜。季節がらしょうがない。



境内の五葉松。直径約10m、高さ約2mで、傘を広げたような形をしていることから傘松と呼ばれている。約340年前に9世住職・石山和尚が沼田から当寺へ転住の際に持って来て植えたといわれる。
応永寺は花の名所で、春には山門前を中心に桜を始めとして菜の花などが咲き乱れる。傘松しか調べてなかったので・・・。春になったら、もう一度行ってみようかな。
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