渋川市白井の鳳来寺峯薬師堂。

峯薬師堂は慶長5年(1600年)の建立。境内の由緒碑には「鳳来寺峯薬師」とあるが、内容は源空寺の薬師堂として建立されたとなっている。
(源空寺は「渋川市白井・法然山源空寺」参照)


石仏や庚申塔類が並んでいる。とは言え、後に並べた感が見え見えだけど。

薬師堂は天明4年(1784年)に火災により焼失したが、天明6年(1786年)に再建されている。最近では昭和62年(1987年)に大修復が行われている。

本尊の薬師如来像は利修仙人の作といわれる。利修仙人は奈良時代の人で数々の伝説が残っている(存在自体が伝説とも)。愛知県新城市の鳳来寺を大宝2年(702年)に開基し、霊木から本尊の薬師如来像(峯の薬師)を作ったとされる。どうやら、この辺の話を持ってきて「鳳来寺峯薬師」と言うのかな。
ちなみに鳳来寺は江戸時代、徳川家康生母・於大の方が鳳来寺に参詣後に家康を授かったといわれ(伝説だが)、幕府の庇護を受けている。


境内の華月堂は昭和61年(1986年)の建立。峯薬師堂は吹屋地区が管理していたが、源空寺に管理を移管する際に堂内を調査したところ、吹屋愛宕神社内華月庵の本尊・木造弥勒菩薩坐像が出てきたとかで、その安置のため建立されたようだ。
中は見られないが、本尊を納める厨子とともに華月堂内に安置されている。なお、その厨子は江戸初期の貴重なもので、渋川市の重文になっている。

峯薬師堂は慶長5年(1600年)の建立。境内の由緒碑には「鳳来寺峯薬師」とあるが、内容は源空寺の薬師堂として建立されたとなっている。
(源空寺は「渋川市白井・法然山源空寺」参照)


石仏や庚申塔類が並んでいる。とは言え、後に並べた感が見え見えだけど。

薬師堂は天明4年(1784年)に火災により焼失したが、天明6年(1786年)に再建されている。最近では昭和62年(1987年)に大修復が行われている。

本尊の薬師如来像は利修仙人の作といわれる。利修仙人は奈良時代の人で数々の伝説が残っている(存在自体が伝説とも)。愛知県新城市の鳳来寺を大宝2年(702年)に開基し、霊木から本尊の薬師如来像(峯の薬師)を作ったとされる。どうやら、この辺の話を持ってきて「鳳来寺峯薬師」と言うのかな。
ちなみに鳳来寺は江戸時代、徳川家康生母・於大の方が鳳来寺に参詣後に家康を授かったといわれ(伝説だが)、幕府の庇護を受けている。


境内の華月堂は昭和61年(1986年)の建立。峯薬師堂は吹屋地区が管理していたが、源空寺に管理を移管する際に堂内を調査したところ、吹屋愛宕神社内華月庵の本尊・木造弥勒菩薩坐像が出てきたとかで、その安置のため建立されたようだ。
中は見られないが、本尊を納める厨子とともに華月堂内に安置されている。なお、その厨子は江戸初期の貴重なもので、渋川市の重文になっている。
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