桐生市新宿町の韋提山定善寺。
定善寺は寛永2年(1625年)桑誉了的上人の創建。桑誉了的上人は東京・増上寺の住職(現法主)も務めた高僧。
山門前には呑龍上人像永代安置の碑がある。明治25年(1892年)に大田・大光院の呑龍さんを祀るようになり、定善寺は「呑龍さま」とも呼ばれる。本堂には呑龍さんの像と位牌が安置されている。
江戸末に火災により伽藍は焼失。現在の本堂は嘉永2年(1849年)に再建されている。
境内の不動堂。天井から見つかった棟札によると、元治2年(1865年)に一乗院宝蔵寺に建立されたものと判明した。宝蔵寺(廃寺)から定善寺に移されたようだ。
鐘楼。
高山彦九郎の長男・儀助の墓。義介、義助とも。また3男とも言われる。桐生市の常見家に婿入り、孫の石九郎に高山家を再興させる。安政5年(1858年)没。
大関・秀ノ山(9代横綱)の墓とその弟子・秀の森の墓。なぜ定善寺に秀ノ山の墓があるのか不明だが、かつては墓参する相撲取りも多かったという。ちなみに、現在秀ノ山という名は年寄り名跡として代々受け継がれている。
*番付最高が大関の時代なので、横綱は称号。
カスリーン台風による渡良瀬川・桐生川の水害犠牲者供養碑。昭和22年(1947年)9月に大きな被害をもたらしたカスリーン台風。関東・東北を中心に死者1000名以上を出したが、群馬県でも592人が犠牲になっている。
ところで、定善寺には桑誉了的上人が朝廷より下賜された金で織られた袈裟が寺宝としてあったといわれる。しかし江戸末の火災により行方不明(多分焼失)となった。存在自体が不詳なところもあるが、事実ならなんと惜しいことか。
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