富岡市一ノ宮の太子堂塚(旅寝塚)古墳。

太子堂塚古墳 (1)
太子堂塚古墳 (2)
太子堂塚古墳は前方後円墳だが、後円部の大半は大きく削られているため、本来の大きさは不明。前方部は長さ30m、幅40m、高さ6mの規模を誇り、原形は全長70mほどであったと推定される。

中心の主体部には横穴式石室があったと伝えられているが、既に破壊されている。また、前方部の周囲に20mほどの周堀跡が認められる。

6世紀後半の築造と推定される。

太子堂塚古墳 (3)
前方部墳頂には、松尾芭蕉の句碑(左)と雲裡房の句碑(右)がある。芭蕉の句碑は、地元の俳人が雲裡房の指導のもと寛延4年(1751年)に建立したもの。「芭蕉翁 花の蔭 諷に似たる 旅寝かな」と刻まれている。太子堂塚古墳の別称である「旅寝塚古墳」は芭蕉の句から来ている。

雲裡房の句碑は、芭蕉の句碑造立に尽力した雲裡房を顕彰するために、宝暦12年(1762年)に建立されている。雲裡房は渡辺雲裡房といい、松尾芭蕉の幻住庵を再興した俳人。宝暦11年(1761年)に亡くなっているので、翌年に顕彰句碑が造立されたんだと思う。

太子堂塚古墳 (4)
墳頂にもうひとつ碑のようなものがあるが、なんだか不明。