上野三碑がユネスコの「世界記憶遺産」に登録された(2017年)のを機に、多湖碑(高崎市吉井町池)、金井沢碑(高崎市山名町)、山ノ上碑(高崎市山名町)を再訪した。
多湖碑は和銅4年(711年)に多胡郡が設置され、その郡吏に羊太夫という人物が任命されたのを記念して造られたという説が有力。
以前の訪問は2010年(「上毛かるた紀行」)だが、変わったところは案内板がきれいになっていたことくらい。従来から「吉井いしぶみの里公園」として整備され、「多胡碑記念館」も併設されていたので。(「昔を語る 多胡の古碑」参照)
金井沢碑は神亀3年の(726年)の建碑で、高崎佐野にあった屯倉の管理者の子孫が、先祖の冥福を祈るため仏教に入信するという誓いが刻まれている。
きれいな歩道(木道)が整備され、碑までの通路が大きく改善されていた。以前の訪問時(2010年)は、訪れる人もほとんどいないため、あぜ道のような通路はクモの巣だらけで、巣を払いながら登って行った。(「高崎市山名町・金井沢碑」参照)
山ノ上碑は天武天皇10年(681年)の建碑で、隣の古墳(山ノ上古墳)に眠ると考えられている放光寺の僧・長利の母の墓誌と考えられている。
(「高崎市山名町・山ノ上碑」参照)
山ノ上碑も道路から石段までの間にきれいな木道が整備されていた。また、石段周りも樹木が伐採され、すっきりしていた(前回訪問2010年)。
上野三碑を訪問した2010年は、「上毛かるた紀行」「上州まったり紀行」を始めた年で、紀行文を改めて読み直すと稚拙な文章で恥ずかしい。また、写真もひどいなぁ。
ところで、もともと三碑とも国の特別史跡に指定されていたにも関わらず、金井沢碑と山ノ上碑は歩道の整備に問題があった。それが「世界記憶遺産」登録を目指す一環として、2015年に木道やトイレなどが整備され、これだけきれいになった。やる気になればできるんだから、他の文化財保護などもよろしく。もちろん、高崎市以外も。
世界記憶遺産登録活動、そして登録で、どれくらい見学者(観光客?)が増えているか知らないが、碑を守ってきてくれた地域住民の方々への配慮も必要だね。特に山ノ上碑は少し狭い生活道を行くことになるので。
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