藤岡市鬼石の慶石山福持寺。


福持寺は天平年間(729~49年)行基の開創と伝わる。行基手彫りの地蔵菩薩を祀ったのが始まりとされ、地蔵院と称した。建久6年(1195年)に梶原景時の3男・福持丸が当地で落馬により死去したのでここに葬ったことから、景時が大旦那(中興開基)となり寺号を福持寺に改めたといわれる。

山門横の「光明真言 五百億遍 供養塔」。光明真言は梵字23字(最後の休符を入れても24字)とは言え、五百億遍とは。


本堂は平成21年(2009年)に改修されている。山門は東向きだが本堂は南向き。昔は山門の先に本堂があったのかもしれない。現在、山門の先は墓地になっている。



境内の不動堂。不動明王が鎮座している。



弘法大師御影堂。



太子堂。聖徳太子16歳を祀っている。鬼石町の上町にあった太子堂を大正6年(1917年)に福持寺に移転したもの。



地蔵堂。

文永7年(1270年)銘の板碑。緑泥片岩製で高さ147cm。蓮座上に阿弥陀種子が刻まれている。

文永8年(1271年)銘の板碑。緑泥片岩製で高さ127cm。蓮座上に阿弥陀種子が刻まれている。

文永7年(1270年)銘の板碑。緑泥片岩製で高さ 65cm。他の2碑同様、蓮座上に阿弥陀種子が刻まれている。碑下部の紀年銘のところで切れているので、下部は大きく欠損しているようだ。
群馬県内の板碑(供養塔)の最古は仁治元年(1240年)なので、文永銘の板碑は古い部類に入る。そのため、3碑とも相当風化が進んでいる。貴重な板碑なのだから、覆屋などで保護した方がいいと思う。
ところで、藤岡市のHPでは3基目の板碑の紀年銘を文永8年としている。しかし現地の旧鬼石町の案内板には文永7年とある。現物も文永7と見えた。自信はないが・・・。
参考(群馬県内最古ベスト3)
「群馬県最古の供養碑 -小島田の供養碑-」
「甘楽町最古の板碑 -仁治の板碑-」
「富岡市最古の板碑 -仁治の碑-」
コメント