安中市板鼻の八幡山長伝寺。


長伝寺は天文元年(1532年)長源寺9世・為景清春和尚が八幡八幡宮境内に創建。豊臣秀吉の小田原攻め(天正18年:1590年)の際に八幡八幡宮とともにが焼失、慶長9年(1604年)現在地に再建されている。
山門の扁額が「第一義」。これは最高の道理、究極の真理などを意味する仏教用語。もちろん、一般用語でも使う(最も大切な根本的な意義、価値)。


本堂は慶応4年(1868年)の再建。石原常八、金子文五郎などの彫刻が数多く施されている。いずれも石原流(元祖は石原吟八)の名工である。




向拝上部の唐獅子や中備えの龍、正面入り口の両脇に波に千鳥など。しかし、実際に石原常八、金子文五郎の見事な彫刻は本堂内部(欄間彫刻など)に多く見られる。
これら彫刻を施したためか、本堂の再建には十数年かかっている。

境内の仏足石。
本堂の欄間彫刻は2代目石原常八の最後の作とされている。他には、板倉町の雷電神社や埼玉県熊谷市妻沼の歓喜院聖天堂の彫刻が有名である。
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