邑楽郡板倉町大高嶋の高鳥天満宮。

高鳥天満宮 (1)
高鳥天満宮 (2)
菅原道真が延喜元年(901年)太宰府に左遷された際、家臣の岩下勝之丞が随行を申し出たが、道真はこれを許さず自らの画像を与えた。勝之丞は故郷である出羽国に戻りこれを守護していた。

後の文暦元年(1234年)、後裔の勝之進がこの画像を伴って京都北野天満宮に参詣の途次この地に寄宿したところ、道真が夢枕に立ち「鳥が高く飛んで止まないこの地に祀れ」と告げられたため、神社を創建し画像を安置したという。

高鳥天満宮 (3)
高鳥天満宮 (4)
高鳥天満宮 (5)
社殿は嘉永元年(1848年)の造営。

高鳥天満宮 (6)
高鳥天満宮 (7)
拝殿の彫刻は石原常八主信、渡辺喜平次源宗信らによるもの。石原常八は左甚五郎の流れを汲み、龍の彫り物で右に出るものはないと称された名工である。

高鳥天満宮 (8)
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
ちなみに、初出の拾遺和歌集では「春を忘るな」。

高鳥天満宮 (9)
「願掛け撫で牛」。牛は天神様の使いで、この「撫で牛」を勉強机や居間など身近な所に置き、願い事を念じながら毎日撫でると祈願成就する。

高鳥天満宮 (10)
境内の神楽殿。毎年元日や例大祭で神楽が奉納される。高鳥神社の神楽は館林・大島神社から伝えられたといわれる。

高鳥天満宮 (11)
高鳥天満宮 (12)
社殿裏の天神の滝と心字池。
岩下勝之進が滝と池のある当地になんとも言えぬ厳かさを感じたことから、この滝で身を清めてから近くに宿を求めた。その夜、道真が夢枕に立ったことから、「夢見の滝」とも呼ばれる。また、心字池は「心」の字の形をしていたことから心字池と言われる。

全国に天満宮は多数あるが、道真直筆の自画像がご神体となっている天満宮は全国でも少ない。