北群馬郡吉岡町南下の大藪八幡宮。

大藪八幡宮 (1)
大藪八幡宮 (2)
桃井尚義が源氏の氏神である八幡神を祀ったのが始まりという。

桃井尚義は同じ吉岡町の下八幡宮を創建した義胤の曾孫で、新田義貞の鎌倉攻めに参陣し化粧坂の戦いで戦死したといわれる。他説では、その後の越前・藤島の合戦(延元3年・暦応元年:1338年)で討ち死にしたとも。なので、西暦1300~30年頃の創建か?
(下八幡宮は「吉岡町南下・下八幡宮」参照)

大藪八幡宮 (3)
大藪八幡宮 (4)
明治元年(1868年)に当地に遷座し、石祠を木造の社殿を建立した。

大藪八幡宮として書いた由緒は、実は「上八幡宮」の由緒とされるものである。大藪八幡宮と上八幡宮は、同一神社の別称なのか別神社なのか不明。まあ不明というか、オレの知識がないということ。

大藪八幡宮には獅子舞が伝わっている。大永3年(1523年)桃井播磨守が守刀とともに、八幡神社に奉納したのが始まりといわれる。威勢の良さと振りの多さは近隣にないものである。桃井播磨守が誰なのかは不明。直常かと思ったが、時代が合わなかった。直常の没年は永和2年(1376年)とされる。