北群馬郡吉岡町南下の桃井塚。
桃井直常の墓との伝承がある。

桃井直常の墓
桃井直常の墓と伝わる五輪塔(向かって右)。左は直常夫人の供養塔とされる。

直常は元弘3年(1333年)足利尊氏の六波羅探題攻めに従い、室町幕府開府後は若狭守護、伊賀守護、越中守護に任じられている。

観応擾乱(足利直義派と高師直派の対立)では直義側に付き奮闘。その後も反幕府的な軍事行動をおこなっていたが、応安4年(1371年)五位荘の合戦(現在の富山県高岡市)で敗れて消息不明となっている。

その後の行方は分からず、富山市近在で没したとも桃井郷へ帰郷後没したともいわれる。没年は永和2年(1376年)とされるが、定かではない。