甘楽郡甘楽町国峰の興巌寺。


興巌寺(こうがんじ)の由緒は不明。

本堂は平成12年(2000年)の新築。本堂新築記念碑に「450余年」とあったので、単純計算で1550年前後、天文から弘治(1532~58年)あたりの創建?

興巌寺は小幡七福神の大黒天を祀る。

墓地内にある一石五輪塔。その名の通り、1つの石から彫り出した五輪塔。3基とも天引石(砂岩)で造られている。高さは56~58cmとそれほど大きくない。いずれも直線的な軒型をしており、13~14世紀の造立と推定される。小幡氏、藤田氏の供養塔と伝えられているが、定かではない。
風化のためか火輪と風輪間には亀裂が入っており、分離状態(上に乗っているだけ)になっている。


墓地内に「国峯城主 小幡氏歴代」という碑があったので、その後ろを見たら小幡氏歴代の墓(宝篋印塔)があった。塔身部は後世のもののようだが、そこには「顕高」「信龍斎全賢(憲重)」「泉龍斎聖賢(不明)」「信定」「重定」「信貞」「信真」の名がみえる。
*( )内はオレの記載
小幡氏に関しては詳しくないが、顕高、憲重、信貞は親子孫の関係で、顕高の法名が「興巌宗賢庵主」とあったので、勝手な想像を働かせると、興巌寺は憲重が父・顕高の菩提を弔うため創建したのかも。
後付けの塔身部に弘治3年(1557年)ともあったので、単純計算からの創建推定年とだいたい合っている。うぅ~ん、自己満。(一石五輪塔の年代とは、ちょっと合わないけど・・・)
ちなみに、小幡氏歴代の墓は宝積寺にもある。
「小幡氏歴代の墓 -宝積寺-」
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