館林市赤生田町の子神社。

子神社 (1)
子神社 (2)
子神社の創建は不詳。江戸期までは「子之権現様」の名称で崇められてきた。足腰の神様として近郷近在にない御利益のある神様で、関東各地より参拝する人が多く訪れる。

子神社 (3)
子神社 (4)
子神社 (5)
現在の社殿は明治2年(1869年)の改築。

子神社 (6)
大型の草鞋が掲げられている。金属製のようだ。

子神社 (7)
子神社 (8)
社殿を囲むようにに多くのわらじ(ステンレス製)が奉納されていた。「足腰が良くなりますように」「膝の痛みが消えますように」など、足腰にまつわる病などの治癒祈願がほとんど。

子之権現は子之聖人のことで、天長9年(833年)紀伊国生まれで、7歳で出家した後、出羽国・湯殿山で修行重ね、諸国を行脚した。生まれが子年子月子日子刻であったため、人々に子之日丸と呼ばれた。

武蔵国(現、飯能市)で悪魔に襲われ足腰に深い火傷を負い、その地に留まり、120歳(!)の長寿を全うしたという。その死に際して、「魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」と言い遺したことから、足腰の神仏として信仰を集めることとなった。

でも、子神社のご祭神は大己貴命。子之聖人ではない。大己貴命が「旅好きで大変な健脚の持ち主」だったので、それにあやかって草鞋などを奉納するようになったとある。

ちなみに大己貴命は大国主命の別名であるが、大国主命が足腰の神様であるとの説はあまり聞かない・・・。