太田市丸山町の義徳山大圓寺。
大圓寺は明暦元年(1655年)の創建。安政年間(1854~60年)の火災により、記録などは焼失してしまっている。
現在の本堂は平成17年(2005年)の再建。
参道脇にある徳本行者名号碑。
徳本行者は江戸時代後期の浄土宗の僧侶で、各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖と呼ばれていた。
文化13年(1816年)に上州遊行をした記録があるので、その際に大圓寺に寄るなどしたのだろうか?
墓地入口に勾当内侍(こうとうのないし)の墓とされる宝篋印塔がある。その後方には、「勾当内侍之墓」と記された碑が建っている。
勾当内侍は新田義貞の妻とされる。新田義貞が勾当内侍との別れを惜しんだため、九州へ逃れた足利尊氏への追撃の時期を逸したと太平記には書かれている。
太平記が江戸時代に広まると、勾当内侍の墓が全国各地に作られており、大圓寺の墓もこのころ造立されたものと思われる。
ちなみに、太田市武蔵島町の花見塚公園には、新田義貞の首塚と勾当内侍の墓が並んで建っている。また、太田市亀岡町には勾当内侍が義貞供養のため庵を結んだのが起源とされる儀源寺がある。
「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚・花見塚公園」
「太田市亀岡町・広谷山儀源寺」
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