太田市藪塚町の新井家の五輪塔。
新井家の墓地内にある凝灰岩製の五輪塔。空輪、風輪は欠落しており、他の石材で代用されている。空輪を除いた高さは85cm。火輪、水輪は三分の一ほど欠損していたが、昭和60年(1985年)に風化を防止する化学処理をした際に復元している。
五輪塔は火輪の直線的な稜線、軒端の垂直に近い切り口、水輪の膨らみなどから鎌倉初期のものと考えらる。旧藪塚本町に現存する五輪塔では最古・最大のものである。
新井家は新田義重の曾孫・荒井覚義の末裔と考えられる。ちなみに、荒井覚義の兄・新田政義は鎌倉時代に新田氏が没落するきっかけを作った人物である。
ちょっと話が逸れるが・・・。
政義は寛元2年(1244年)京都大番役時に、幕府に無許可で朝廷に昇殿と官位を無心し、断られると今度は幕府に無許可で勝手に出家し幕府への出仕を拒否してしまった。妻の実家である足利氏の取り成しがあったから、所領総没収にはならなかったが、これにより新田氏の没落は決定的となってしまった。
まあ、政義の心中を代弁すれば、源氏の本宗家は既になく(実朝は建保7年:1219年に暗殺されている)、「北条ごときが大きな顔しやがって。オレは源氏の本流だ!」って感じだったんだと思う。
4代後の義貞が鎌倉幕府を滅ぼし、新田氏が世に再浮上したのは、これから約90年後のことである。
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