太田市新田中江田町の旧来迎寺の宝篋印塔。

旧来迎寺跡の宝篋印塔
安養山来迎寺は明治元年(1868年)の火災により焼失し、寺は800m北へ移転され墓地だけが残っている。

その墓地に応安3年(1370年)の銘がある宝篋印塔が建っている。相輪・塔身は他の石造物の石材を使っているが、他の部分は残り、基礎の4面には銘文が刻まれている。銘文には宝篋印塔を造立した18人の僧侶の名前が刻まれている。

当時(南北朝期)は岩松氏が新田荘を治めていたため、北朝側の年号が刻まれていると思われる。岩松氏は足利氏と新田氏の両方と姻戚関係にあったので、その立場を上手く利用し足利氏から新田荘領有を認めさせ、さらに新田氏の惣領職も奪い栄えていく。

ついでに、戦国時代になると家臣の横瀬氏(後の由良氏)に下剋上され没落している。