伊勢崎市東本町の常清寺。

常清寺 (1)
常清寺 (2)
常清寺の由緒は不詳だが、寛永2年(1625年)良順法印が中興している。

常清寺 (3)
墓地にある変形板碑。安山岩の自然石半面を形成したもので、正面に金剛界の大日如来を表す「バン」の種子と蓮座が薬研彫りされている。南北朝期の北朝年号である康永4年(1345年)の紀年名がある。台座は宝塔の塔身で室町時代初期の別物である。

常清寺 (4)
常清寺 (5)
板垣信方の墓。信方は武田信虎、信玄の2代に仕えた武田24将、武田四天王のひとり。村上義清との上田原の戦いで討死。信方の3男・信廣が新田氏系の林氏を頼り上野国に移り住み、伊勢崎の下植木地区に土着。子孫は代々伊勢崎藩に仕えた。この家系の末裔の方が昭和8年(1933年)に建立したもの。

一般的には「信方」と表記するが、板垣家には「信形」と伝わっているという。ちなみに、明治時代に自由民権運動で名をはせた板垣退助は信方の孫・正信の家系である。