安中市安中(3丁目)の久光山妙光院。

妙光院 (1)
妙光院 (2)
妙光院 (3)
妙光院 (4)
妙光院は応永年間(1394~1428年)慶秀法印の開山と伝わる。永禄2年(1559年)安中忠政が祈願所として再興したといわれる。

妙光院 (5)
永禄2年(1559年)安中忠政が祈願所として堂宇を再建。以後、井伊直勝、板倉重形も祈願所とするなど、歴代安中藩主から崇敬を受けた。

妙光院 (6)
安中藩は井伊直政長男・直勝に始まるが、板倉家は天和元年(1681年)から元禄15年(1702年)、寛延2年(1749年)から明治4年(1802年)の廃藩置県まで、2回計140余年に渡り藩主を務めている。

写真では分かりづらいが、屋根には「板倉九曜巴」の家紋が輝いている。板倉家藩主時代(2回目と思われる)に本堂は再建されているようだ。

妙光院 (7)
妙光院墓地には、新島襄の祖父・弁治と弟・雙六の墓がある。祖父・弁治は明治3年(1870年)85歳、弟・雙六は明治4年(1871年)25歳で亡くなっている。

妙光院は新島家の菩提寺なのかな。ちなみに、新島襄の両親(民治、とみ)の墓は、襄とともに京都にある。