渋川市赤城町三原田の三原田山興禅寺。

興禅寺 (1)
興禅寺は貞観元年(859年)比叡山無相寺の僧・相應の開山とされる。その後、建久3年(1192年)に栄西により臨済宗に改宗。さらには、天和9年(1623年)天海により再度天台宗に改宗している(二祖開山)。

天正18年(1590年)白井城落城の兵火に罹り焼失、また嘉永4年(1851年)にも類焼から全山記録類とともに焼失している。

興禅寺 (2)
参道の両側には七福神像と十王像が並んでいる。七福神像があるのは、興禅寺が「上州七福神」弁財天を祀るから。

興禅寺 (3)
興禅寺 (4)
山門は明治28年(1895年)に、前年に合併した旧溝呂木村(当時は横野村)大蓮寺山門を移築したもの。

興禅寺 (5)
興禅寺 (6)
本堂は嘉永4年の焼失後、樽村の民家を買い受けて仮本堂としていたが、山門同様明治28年(1895年)に前年に合併した大蓮寺の本堂を移築している。平成20年(2008年)に全体を入母屋銅板葺きに改修している。

興禅寺 (7)
墓地にある宝篋印塔群(12基)。応永3年(1396年)から長享(1487年)までの銘がある。

この宝篋印塔群は、興禅寺の西側にあった三原田城主・永井実綱の祖先の墓塔とされる。実綱は戦国期の人物。永井氏は白井長尾氏に仕えていたが、天正18年(1590年)に長尾氏が実質滅ぶと当地で帰農している。