富岡市岡本の光放山西方寺。

西方寺 (1)
西方寺 (2)
西方寺は宇多天皇の御代、月景上人の開基といわれる。宇多天皇の在位は仁和3年(887年)~寛平9年(897年)なので、西方寺は平安時代の創建となる。

西方寺 (3)
西方寺 (4)
本堂の建立年などは不明。扁額は「光放山」となっているので「光放山西方寺」としているが、昭和3年(1928年)刊の「北甘楽郡誌」には「放光山西方寺」とある。帰ってきてから気づいたので、お寺に確認もしていない。

西方寺 (5)
元応2年銘と貞治2年銘の板碑。両板碑とも石材は地元の点紋緑泥片岩

西方寺 (6)
鎌倉時代末、元応2年(1320年)の建立。上部が割れて(欠けて)いるが、高さ242cmを誇る。群馬県内で2番目に大きい。

西方寺 (7)
南北朝期、貞治2年(1363年)の建立。大日如来が刻まれている。貞治は北朝の年号。

富岡から甘楽、下仁田にかけて北朝の勢力下にあったのか、意外と北朝方に縁故のものがある。
 富岡市・光厳寺(北朝初代・光厳天皇の開基)
 下仁田町・貞治6年銘の板碑
 甘楽町・観応元年の五輪塔(庭谷の五輪塔)

西方寺 (8)
門前の「力士 桺川子之吉の碑」。地元出身の力士なのか、調べても分からなかった。

追記
 桺川子之吉の碑について、判明したことがあるので下記参照ください。
 「力士・柳川子之吉の碑