渋川市中郷の最大山雙林寺。
ここには山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(白井鳥酔の分骨塔)がある。
(雙林寺は「渋川市中郷・最大山雙林寺」参照)

山崎石燕の墓
山崎石燕の墓。石燕は渋川郷学の祖といわれる。高さ約1mの五輪塔型で、「心操石燕居士」の戒名が刻まれている。

石燕は宝永6年(1709年)北牧に生まれ、幼い時から学を好み下仁田の高橋道斎に学んでいる。後に江戸に出て井上金峨に学んで、数年後帰郷して塾を開いている。石燕は渋川郷学の祖といわれ、多くの門弟を育てている。その著書に「石燕一家言」「蒙求標題(もうぎゅうひょうだい)」がある。また画家としての才能もあり、狩野派の絵画を学び、極彩色の気品ある人物画を得意とした。

天明5年(1785年)77歳で没している。

鳥酔翁塚 (1)
鳥酔翁塚 (2)
鳥酔翁塚(ちょうすいおうつか)。俳人・白井鳥酔の分骨塔である。

白井鳥酔は白井信興といい、上総国(千葉県)で旗本知行所の郷代官をしていたが、低調になっていた俳壇を救うため佐久間柳居門に入り、天明俳諧復興のさきがけとなった。

明和6年(1769年)に69歳で江戸に没したが、弟子たちが師の遺歯を分けあい、ゆかりのある土地に供養した。その1つが加舎白雄と地元の俳人らが安永8年(1779年)に建てた鳥酔翁塚である。

塚の裏には、「僧に法(のり) 虫に声あり 夜もすがら」という句が刻まれている。