桐生市黒保根町上田沢の涌丸山医光寺。

医光寺 (2)
医光寺 (1)
医光寺は弘仁11年(820年)空海(弘法大師)が東国遊化のおり、薬師仏を刻み開創したと伝わる。

医光寺 (3)
医光寺 (4)
本堂は延享4年(1747年)の再建。屋根や外壁がまだ新しいので、最近改修されているようだ。

医光寺 (5) (1)
医光寺 (5) (2)
医光寺の本尊は千手観音だが、銅製の虚空蔵菩薩像が安置されている。元々は赤城山を構成するひとつである虚空蔵岳(小地蔵岳)の堂宇内にあったもので、明治末年に医光寺に移されている。永禄元年(1558年)の造立で、総高36cm。背一面に銘文が刻まれている。(写真はいずれも桐生市HPから)

医光寺 (7)
医光寺 (8)
本堂欄間の彫刻は、中国の「二十四孝」を題材にしている。彫物師は地元上田沢出身の関口文治郎有信と伝えられている。上の写真は「老莱子(ろうらいし)」、下は「孟宗(もうそう)」である。

医光寺 (9)
本堂屋根には新田氏の「大中黒」、徳川氏の「三つ葉葵」、佐野氏(と思われる)の「右三つ巴」の家紋が並んでいる。場所(地理)的に新田氏と佐野氏は分かるが、徳川氏との係わりは?

医光寺 (10)
医光寺 (11)
医光寺 (12)
本堂脇の石段を登ると薬師堂がある。弘法大師が刻んだとされる薬師仏(薬師如来)を祀る。医光寺のルーツというべきお堂である。正徳5年(1715年)の再建とのことだが、本堂同様最近改修されているようだ。

医光寺 (13)
薬師堂前にある「お大師さまの踏み草履石」。弘法大師が踏んだという石。真ん中の窪みが足の跡ってことかな。