桐生市新里町山上の赤城山常廣寺。
山上城域に位置する。

常広寺 (1)
常廣寺は小田原の機利者と称された山上郷右衛門顕将の創建と伝わる。機利者とは知略に優れ行動が早い者こと。

常広寺 (2)
常広寺 (3)
焼失により記録が失われているため創建時期は定かではないが、山上城が廃城となった天正18年(1590年)頃と考えられる。

常広寺 (4)
常広寺 (5)
境内にある弁天堂。江戸時代中ごろの建立と推定される。七尺方一間造りで、向拝柱につく木鼻や紅梁の上の欄間には、精巧な彫刻が施されている。

常広寺 (6)
常広寺 (7)
本堂裏手に八雲大龍神を祀るお堂があった。本堂から(だったかな?)龍神橋で繋がっているが、謂れなどは不明。

常広寺 (8)
山上郷右衛門顕将の供養塔。郷右衛門のご子孫が平成27年(2015年)に建立。

郷右衛門は北条氏に仕え、天正12年(1584年)には大胡城主に任じらている。しかし郷右衛門は小田原で北条氏直を補佐していたため(といわれている)、上野国には赴いていない(北条高繁が城代として城を守っていた)。

郷右衛門が山上に移ってきたのは北条氏滅亡後と考えられる。ただ、関ヶ原の戦いに徳川方として参陣しているので、関ヶ原後かもしれない、この辺はよく分からない。