伊勢崎市境下渕名の大悲山妙真寺。

妙真寺 (1)
妙真寺は正慶2年/元弘3年(1333年)妙真尼の開基といわれる。妙真尼は渕名実秀の娘で、鎌倉の北条氏に嫁いでいたが、北条氏の滅亡後渕名に戻ったという。(正慶は南朝、元弘は北朝の年号である)

妙真寺 (2)
妙真寺 (3)
妙真寺 (4)
本堂は寛政6年(1795年)の建築で、入母屋造り間口9間。

妙真寺 (5)
梵鐘は正徳3年(1712年)の鋳造。

妙真寺 (6)
妙真寺 (7)
墓地入口脇に何故か天満宮がある。本堂裏に古くからあったものを、平成24年(2012年)に移した旨が刻まれていた。

渕名氏は平安時代中期、当地に土着した藤原秀郷の子孫(6代目)・渕名兼行を祖とする。渕名氏の館は現在の大国神社の北側にあったと伝えられており、昭和58年(1983年)の発掘調査では堀跡が確認されている。

ちなみに、兼行の子・成行が足利を本拠とした藤姓足利氏の祖である。