太田市寺井町の寺尾山聖王寺。

聖王寺 (1)
聖王寺は天永年間(1110~12年)興教大師の開山。興教大師とは真言宗の中興の祖といわれる覚鑁(かくばん)のこと。

戦国期に武田信玄の弟・信繁の子が一族の供養のため、寺を再興し正応寺とした。その後、江戸時代に現在地へ移転し聖王寺となった。

聖王寺 (2)
聖王寺 (3)
入母屋造りの本堂。

聖王寺 (4)
聖王寺 (5)
本堂右手に地蔵堂があった。

聖王寺 (6)
中を覗いて見たけど、お地蔵さんらしきお姿はなし。厨子も空のようだ。

聖王寺 (7)
境内の明応元年(1764年)銘の六十六部供養塔。

信繁の子としては信頼、信豊、信永の3人の名が残っているが、信頼は永禄4年(1561年)、信豊は天正10年(1582年)、信永は天正3年(1575年)にそれぞれ死去している。しいて言えば2男・信豊あたりになるのかな。信豊の正室は小幡憲重の娘なので、一応上野国との関係はある。

とは言え一族の供養のためとなると、聖王寺を再興したのは他のやっぱり他の「子」と推定されるが、詳細は分からない。