太田市新田小金井町の金井山東雲寺。
東雲寺は第5代鎌倉公方、後に初代・古河公方の足利成氏の開基と伝わる。成氏は関東管領・山内上杉氏と対立し、鎌倉を占拠され古河へ本拠地を移している(享徳4年:1455年)。
東雲寺の創建は成氏が古河へ移ってからと推定されるので、享徳4年から亡くなる明和6年(1497年)までの間かな。当時の上野国は、平井城をもつ山内上杉氏の勢力内だったが、東部は成氏を支持する岩松氏の勢力内のため、新田荘内に成氏開基のお寺が建ったということかも。
参道両側に観音様がずらっと並んでいる。百体あり、新田百観音霊場というらしい。戦国時代に由良氏家臣・小金井治繁が中興開基しているので、新田色が強くなっている(由良氏は新田氏の子孫を自称)。
本尊である薬師如来を祀る本堂。薬師如来の由緒は、東雲寺裏の堀に光明を放つ薬師如来が流れ着いたからという。永禄7年(1564年)の銘がある。
墓地にある足利成氏の墓。礎石に「成氏公墓」と刻まれている。(公式には成氏の墓は、栃木県野木町の満福寺にある)
鎌倉公方と室町幕府の対立は以前からあったが、成氏の時代では関東管領・山内上杉氏との対立も激化し、関東における戦国時代の幕開けを担ってしまった。
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