太田市新田小金井町の金井山東雲寺。

東雲寺は大永元年(1521年)覚翁の開山、足利成氏の開基とされる。足利成氏は第5代鎌倉公方にして初代古河公方。中興は小金井城主・小金井四郎右衛門治繁。
開基の足利成氏だが、その没年は明応6年(1497年)とされており、大永2年は没後になってしまい年代が少し合わない。この当時、上野国は平井城の関東管領・山内上杉氏の勢力下だったが、東部(新田荘含む)は成氏を支持する岩松氏が支配していた。
中興の小金井治繁は由良成繁(岩松氏を廃して戦国大名になった)の家臣なので、その際に成氏追善の意味で開基としたのかもしれない。

参道両側に観音像がずらっと並んでいる。百体あり新田百観音霊場と言う。

本堂は昭和29年(1954年)に焼失。本堂の再建年は不明だが、それ以降となる。
本尊である薬師如来には2つの由緒がある。ひとつは新田義貞が越後国米山薬師から勧請した霊仏だとされる。もうひとつは東雲寺裏の堀に光明を放つ薬師如来が流れ着いたというもの。同時に流れ着いた鰐口には永禄7年(1564年)と米山薬師(太田市丸山町)の銘があったとされる。共通点は「米山薬師」。
現在の本尊(薬師如来三尊像)は江戸末から明治初めの作と判断されている。


墓地にある足利成氏の墓。礎石に「成氏公墓」と刻まれている(公式には成氏の墓は、栃木県野木町の満福寺にある)。
鎌倉公方と室町幕府の対立は以前からあったが、成氏の時代では関東管領・山内上杉氏との対立も激化し、関東における戦国時代の幕開けを担ってしまった。
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