高崎市倉渕町三ノ倉の三倉山全透院。


全透院は延徳元年(1489年)木部新九郎の開基と伝わる。木部氏は応永(1394~1427年)から永正(1504~20年)の始めまで三ノ倉地方を支配していた。
その後、大戸(現、東吾妻町)を拠点とする浦野氏に支配が代わり、大永2年(1522年)に浦野重勝が堂宇を建立し、長年寺5世・紹舜を招き中興開基している。全透院は浦野重勝の法名「青霄院関翁全透居士」にちなんでいる。


重勝の子・重成、重次は武田氏に従い倉渕地方を支配している。そのためか、本堂の屋根には武田菱が掲げられている。(アップの写真を撮ってくるのを忘れた・・・)

本堂隣の地蔵堂。堂内には室町初期の造立と推定される延命地蔵像が安置されている。地蔵堂は全透院の前身の寺であったと考えられる。

墓地の入口にある閻魔大王と奪衣婆像。



境内には十三仏霊場があった。十三仏は冥界の審理に関わる13の仏で、13の追善供養を司る仏としても知られている。
ちなみに十三仏は、不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩。
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