前橋市小屋原町の薬師山泉蔵寺。

泉蔵寺 (1)
泉蔵寺 (2)
泉蔵寺の創建年は不明だが、蓮生上人の開山と伝えられる。蓮生は熊谷次郎直実の出家後の法名である。

熊谷直実は一ノ谷の戦いで、平敦盛を討ち取った話が有名である。その後、法然の弟子となり出家している。直実の出家は建久4年(1193年)とされており、本領の熊谷に戻ったのは正治2年(1200年)頃と推定されるので、泉蔵寺の創建もその頃ではないか?

泉蔵寺 (3)
泉蔵寺 (4)
創建当初の本尊は薬師如来であった(山号になっている)が、現在は地蔵菩薩になっている。この地蔵菩薩にも謂れがあって、源義経を追い奥州を目指していた静御前が、当地から鎌倉へ戻らざるをえなくなり、何度も後ろを見返ったという。この本尊・地蔵菩薩が静御前に似ていることから「見返り地蔵」と呼ばれている。

ちなみに、前橋市には「静御前の墓」といわれる石造物が2つある。
(「静御前のお墓?・世久山養行寺」「静御前のお墓??」参照)

泉蔵寺 (5)
大日如来と伝教大師像、歴代住職の位牌を安置する開山堂。

泉蔵寺 (6)
境内にある平敦盛の供養塔。蓮生(熊谷直実)が建立したと伝わる。蓮生は敦盛を偲んで、さめざめと泣いたことから「蓮生の悌涙石」との名がついている。

熊谷直実はもともと平家の子孫(熊谷氏の祖は平貞盛)で、石橋山の戦いを契機に源頼朝の御家人となっている。一ノ谷の戦いを共に戦った愛馬「権田栗毛」ゆかりの地(終焉の地)は高崎市倉渕町にある。(「伝・権田栗毛 終焉の地」参照)