伊勢崎市福島町の八郎神社。

八郎神社 (1)
八郎神社 (2)
八郎神社の由緒は不明。明治42年(1909年)に大正寺・下道寺(げどうじ)・富塚・除ヶ(よげ)・下福島の各地区神社を大正寺の八幡神社に合祀(八幡神社はこの時に豊武神社と改称している)。八郎神社もこの時に合祀された一社。後の昭和45年(1970年)に分祀され、現在地に再祀されている。

八郎神社のご祭神は群馬八郎満胤。群馬八郎満胤って誰???

ちょっと長くなるけど、群馬八郎満胤について。
光仁天皇の御世(770~81年)、上野国群馬郡の地頭であった群馬大夫満行の8男・八郎満胤は、容姿に優れ文武にも秀でていたため、満行は八郎を総領に立てて、7人の兄を八郎に仕えさせた。これを恨んだ兄たちは夜襲をかけて八郎を殺害してしまった。

八郎は大蛇と化して7人の兄達を殺害したのみならず、その一族や妻子まで殺してしまった。那波郡の人々は毎年生贄を捧げていたが、宮内判官宗光という人物が一心に法華経を唱え続けると、大蛇は恨みを消し神となって上野国の人々に利益を施すことを誓ったという。人々はこれを八郎大明神と呼んで祀ることにした。

八郎神社 (3)
拝殿の右側半分は社務所になっている。

八郎神社 (4)
八郎神社 (5)
境内にあるお堂を覗いて見ると、不動明王が鎮座していた。脇には制多迦童子と矜羯羅童子を従えていた。

八郎神社 (6)
お堂の向かって左側のスペースには釈迦誕生像があった。八郎神社との関係はよく分からないが・・・。