伊勢崎市戸谷塚町の浅間山大噴火の供養地蔵。

夜泣き地蔵 (1)
天明3年(1783年)の浅間山の噴火時、被災した人々が吾妻川から利根川へ流された。利根川沿いの戸谷塚村にも多くの遺体が打ちあげられた。村の人々は気の毒に思い、遺体を埋葬し霊を弔った。

夜泣き地蔵 (2)
しかし、夜な夜な墓からすすり泣く声が聞こえてくるので、無念の死を遂げた人々の霊を慰めようと天明4年(1784年)地蔵を建立した。すると鳴き声はしなくなったという。

それからというもの地蔵の赤いおかけを借りて、泣き癖のある赤ん坊につけると泣き癖が直るという。

夜泣き地蔵 (3)
供養施設の後ろの松は、高松宮殿下の手植えとのこと。昭和37年(1962年)とあった。高松宮宣仁親王は大正天皇の第三皇子。昭和天皇の弟宮である。「手植え」ということは、高松宮殿下が現地までいらっしゃったということ。

戸谷塚町と嬬恋村鎌原地区とは、現在も交流がある。鎌原地区の方々が、この夜泣き地蔵を訪れ「先祖が世話になった」と参拝していくという。