高崎市吉井町馬庭の疋田山随雲寺。

随雲寺 (1)
随雲寺 (2)
随雲寺は文禄年間(1558~70年)馬庭氏の開基と伝わる。元は中林谷の疋田(現在の自衛隊馬庭駐屯地のあたり)にあったといわれる。山号の疋田山は元地の地名からのようだ。文禄4年(1595年)に馬庭飯玉神社の別当寺となり、当地(馬庭飯玉神社の境内)に移っている。(「高崎市吉井町・馬庭飯玉神社」参照)

馬庭氏が滅んだ後は荒廃したが、寛永13年(1637年)恵意法印が中興開山している。その際の開基は高麗氏で、馬庭氏の後継氏族とされる。

明治33年(1900年)馬庭の宝蔵院、上の段の正覚院を合併している。山門は正覚院から移したものである。

随雲寺 (3)
本堂は昭和31年(1956年)に火災で焼失、翌年再建されている。写真では見ずらいが、本堂のガラス戸には新田氏の大中黒の家紋が描かれている。

現在は無住のようで本堂前に立ち入れないようになっている。

随雲寺には羊太夫にまつわる伝説がある。羊太夫が毎日奈良まで朝参するのに乗っていた龍馬(権田栗毛)が雲に乗って去った場所といわれる。随雲寺の寺号はここからきているようだ。伝説に従えば、随雲寺の創建は奈良時代ということになるけど・・・。

馬庭地区内には龍馬が倒れた場所に龍馬観音があり、堂内には八束小脛(やつかのこはぎ)の像もあるという。場所を調べて行ってみようかな。