安中市下後閑の威徳山北野寺。

北野寺 (1)
北野寺 (2)
北野寺は永和元年(1375年)慶秀僧正が当地巡下の時、一寺を創建したのが始まりと伝わる。

北野寺 (3)
北野寺 (4)
仁王門は近年修復が行われているようだ。ただ仁王像は凛々しいのだが、目の辺りが朽ちかけており、ミイラを想像してしまう状況。

北野寺 (5)
北野寺 (6)
井伊直政の2男・直孝は、幼少時代に北野寺に預けられ、ここで養育されていた。直孝は徳川家康の裁定により慶長20年(1615年)彦根藩2代藩主となり、異母兄(長男)の直勝は安中藩の藩主となった。直勝が病弱であったためと伝えられている。

直孝は彦根藩主になるにおよんで、恩ある北野寺の堂宇を改築している。

北野寺所蔵文書
北野寺には直孝からの書簡や井伊家からの新年礼守賀状、井伊直弼(幕末の大老)からの賀状が残されている。(写真は安中市HPから)

直孝は3代将軍・家光の後見役(大政参与)に任じられ、これが後の大老職といわれる。また、4代将軍・家綱の元服では加冠を務め、宮参りからの帰りに井伊家屋敷に迎えるなど、幕政の中心で活躍した。

井伊直政の側室の子で、しかも次男という立場でありながら、家康を始め歴代将軍に重用された。このことから家康の「隠し子」ではないか? との噂がある。確かに、直政側室(直孝生母)の伊具氏については、その素性がよく分かっていない。